お久しぶりです。黒猫です。
あと二週間で今季も終了。
となると私もここに投稿するのは稀になりそうです。
後継者を探さねば・・・
ともあれ。
17日から、怒涛の指揮者tuttiが続きました。
今回の指揮者は松岡 究さん。
先ごろ、ドイツにおけるローム・ミュージック・ファンデーションの在外研修を終えられたそうです。
松岡先生の御指導は、音楽的に深いのはもちろん、とてもわかりやすく
団員たちも一回一回、多くのことを吸収していっていると思います。
練習中には、曲に対するイメージを話して下さったり。
ベートーベンは、しつこい人。
あのしつこさで、誰にも到達できなかったところへたどりついた人。
今回やる二番の二楽章も、旋律はとても美しいけれど、ちょっとしつこくて長い。(笑)
それと、古典派の音楽は綺麗にシェイプされた枠の中にある、とか。
情熱的だったり、盛り上がったりはするけど
あくまでその枠をこえない。
若い団員たちはすぐリミッター解除状態に陥るので、注意ですねw
悲愴のイメージも印象的でした。
皆さん、「悲愴」という言葉をどうとらえていらっしゃるでしょうか?
たとえば広辞苑では「かなしくいたましいこと」と出ます。
でも私は、ここではあえて新明解を採用したいのです。
「悲しみで、心が痛めつけられるような感じを抑えることができない様子」
抑えることができずに、溢れ出してしまったチャイコフスキーの悲しみ、それが「悲愴」という作品。
・・・というのはさすがに発展しすぎな解釈でしょうか。
また、この交響曲第6番の中で、松岡先生が最も「悲愴」的だと語られたのが、二楽章。
チェロから始まる優雅な旋律。
思わず踊りだしたくなる美しいワルツですが、この楽章は4分の5拍子。
3拍子のワルツのステップでは、踊れないのです。
5拍子のリズムは不安定な暗さも生み
続く別の主題はため息のように繰り返す。
踊れないワルツ。
美しいが故に悲しい。
美しいほどに悲しい。
なんとも「悲愴」的なアイロニーです。
と、いうようなイメージを胸に
団員諸君は残り二週間足らず、目一杯練習していきましょう。
観客の皆様の心に、この音楽が届きますように。
それではまた。