続、エリック・サティを語る。

ごきげんよう、黒猫です。
なんだか寝付けないので
先日オーシマ氏が振り逃げした
エリック・サティについて勝手に語ってみます。

と申しますのも
私、高校生のときに音楽の課題で、サティについてレポートを書いたのです。
作曲家を一人選んで書かなければならなかったのですが
趣味でピアノを弾く母に相談してみたところ
「サティってすごい変人だから、書くこと多くて楽なんじゃない?」と言われたのでした。
実際に調べてみると、まぁエピソードの尽きない人で。
天才的な人って、色々紙一重な人が多いですよね。
でもやっぱり彼の作品はすごいし、後の音楽にも多大な影響を与えている。
よくサティは「音楽界の異端児」と表されますが
音楽界はもちろん世間的にも異端だったに違いないと思います。
でもどこかユーモラスで、憎めない人物。
フランスの街を、いつも同じ黒い山高帽と黒い上着、それにこうもり傘をステッキに歩く丸眼鏡の男。
後世に影響を与えながらも、他のどの作曲家にも似ることがなかった
それ故に異端と言われる作曲家。
ほら、なんだか興味をそそられませんか?

というわけで
かるーくサティについて書いてみようと思います。
専門的なことは私にはよくわからないので
間違ってる可能性もありますけど・・・
サティーの音楽って、好き嫌いがわかれたりしますが
人となりを知るとちょっと聴き方も変わってくるかも。
ちょっと長いですが、コラムを読むようなつもりでご覧いただければよろしいかと。
少しでも興味をひかれた方は是非、「続きを読む」からどうぞ。↓


はい、クリックありがとうございます(笑)
前置きにちらっと書きましたが長いですよー。
でもわかりやすく且つ飽きないように書いたつもりなので
しばしお付き合い下さいませ。

さて、皆さんはサティの音楽についてどれほど御存知でしょうか?
「ジムノペディ」「グノシエンヌ」「ジュ・トゥ・ヴ」「ピカデリー」のあたりだと
CMなどBGMにも良く使われているので、名前は知らなくても曲を聴くとわかる、という方も多いでしょう。
サティの作品の中で、かなり聴きやすい部類ですね。
何故聴きやすいのか、といえば
これらの曲の構成がことごとくシンプルだからではないでしょうか。
加えてものすごく短かったりします。
彼の処女作「アレグロ」はわずか約30秒。
今でこそこういった曲がそこそこ当たり前に受け入れられているものの
浪漫派やワーグナー主義が幅をきかせていた作品発表当時にしてみれば、かなり斬新なものでした。
これらの作品は無駄なものを極限までそぎとった、という点から「骨格だけの音楽」などと呼ばれることもあります。

こういう新しいことを平気でやってのけるサティさん。
そこにシビれるあこがれるゥ!と言ってくれる人は、残念ながらあまりいませんでした。
あまりに新し過ぎて、受け入れられなかったんですね。
サティ自身も「私はとても古い時代に、とても若くしてこの世に生を受けた」なんて言葉を残しています。

ちょっと話は飛びますが
フランスの文化に欠かせないものに「エスプリ」があります。
これはフランス語で、直訳すると「機知」といったところ。
笑いのセンスのを表す際、イギリスの「ユーモア」、フランスの「エスプリ」と区別されることが多いですね。
  ユーモアはどんなことも滑稽さに変える、人間の本能的笑い
  エスプリは会話の中の気の利いた切り替えしなど、理知的な笑い
という感じですかね。
例えるなら「チャップリン」がユーモア、「アメリ(オドレイ・トトゥが出てるあの映画)」がエスプリ。
ちょっと時代が違ってますが言いたいことは伝わって・・・ますか?
で、このエスプリを体現しているのがまさに、サティの音楽なのです。

サティはそもそも凡庸なもの、世俗的なものに全く興味のない人だったのですが
前述したように浪漫派には真っ向から対立していたし
長調・短調にまとめられる、いわゆる調性音楽にとらわれない作風を追求し
さらに教会に入り浸っていたせいか、カトリック聖歌に独特の手法を自作にとりいれたりしました。
これは既存の音楽に対する彼なりの皮肉たっぷりの切り替えし・・・
と言えなくもないと思うんです。

こうして調整音楽をばっさり無視した結果
楽譜からは調号が消え、小節線が消え、拍子記号が消え、終止線が消えました。
実際、ものすごく読みにくいです。
でも曲中の拍子などが完全になくなったわけではなくて
気まぐれに、自由に変動するのに都合をよくした、といった感じです。
「その音の流れの中に拍子があれば、それが現実的に拍子なんだよ!」
という一種の開き直り・・・みたいに感じます。

こうした作品は、曲のタイトルもとても特徴的です。
「乾からびた胎児」「犬のためのぶよぶよした前奏曲」
「いつも片目を開けて眠るよく肥った猿の王様を目覚めさせる為のファンファーレ」
などなど、挙げるときりがないです。
これらには由来があったりなかったりしますが
奇妙なネーミングは、曲名によって作品を判断しようとする人々への皮肉、と見るのが通説のようです。
でも中には当然由来があるものもあって
そのエピソードで秀逸なのは「梨の形をした3つの小品」という作品。
これは、サティと交流のあったドビュッシーから
「あなたの曲には形式というものが欠けている」と批判されて
むっとしたサティさんは「梨の形の」と名づけて、これには形式があるぞアピールをしたわけです。
では何故「梨」なのか。
これはフランス語で「梨」というと「まぬけ」を表す隠語だそうで
まぁなんというか・・・アイロニーですよね。
サティは形式を大事に思っていないのですから。
実際、この曲にはドビュッシーの求めるような形式は(たぶん)なく
それどころか曲は「始まりのようなもの」「同じものの継続」「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」「繰り返し」「もう一度繰り返し」の7つです。
これぞエスプリ!(ちょっと強引?)

さて、こんなことばかり書いていると
サティってなんかめんどくさい頑固者じゃん、って感じですが
それ以上に愛すべき(?)変人なのです。

たとえば。
サティは13歳でパリ音楽院に入学するのですが
馴染めなかったのか退屈したのか、20歳のとき兵役志願します。
だがしかし
協調性があるわけがないサティさん、こちらも嫌になって
寒空の下、わざと裸で外に立ち、わざと気管支炎をおこして
入院、療養の後、除隊を果たしました。
その後音楽院に戻ることもなかったそうな。

たとえば。
サティは薔薇十字教団という神秘主義者の組織の公認作曲家になりますが
あるとき絶縁してしまい
自ら「主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン教会」を設立します。
この教会、礼拝堂は自分の戸棚の中。
構成員はサティ一人。
けれども機関紙を発行し、立派な印鑑を使用
さらには大物知識人に「破門状」を投げつけたりもしたそうです。
うーん、変。
でも信心深かったのは本当のようです。

まぁ他にも
誰にも読めない字を作ってそれで看板をつくってしまったり
作品名にあるような不思議な言葉のメモを大量に残していたり
同じ服、同じハンカチを死後の部屋から大量に発見されたり。
ネタだらけですねサティさん。
でも、存命中の音楽的地位は不遇なものでした。
批評家と決闘して(サティのそうび:こうもりがさ)留置所に入ってしまうくらいです。
ただ、交流のあった音楽家たちにはかなり影響を与えました。
代表的なのはラヴェル、ドビュッシー。
前述した調性音楽への抵抗が、結果的に印象派の発展の助けになったようです。
ドビュッシーとは25年ほど、喧嘩しつつも友達だったそうで
ただ、サティの晩年にはちょっとしたことで絶交してしまったのだとか。
でも同じくサティの影響を受けたというストラヴィンスキーと彼を引き合わせたのもドビュッシーだったり。
人生わからないものですね。
ラヴェルの方も「サティさんの影響をかなり受けました」と公言しまくっていたそうで。

それだけではなく、サティはBGMの先駆者でもありました。
今はカフェやレストランで音楽を流すのが当たり前ですが
当時はやはり、音楽はコンサートで聴くのが一般的。
しかしサティは、家具のように、そこにあっても日常生活を妨げない音楽、
それを「家具の音楽」と名づけて熱心に作曲しました。
「これから演奏する音楽をどうぞ聴いてくれませんように・・・くれぐれも」
そう前置きしてサロンで演奏したこともあるとか。
しかし「家具の音楽」の多くは
彼の通っていた、パリの芸術家たちが集まるカフェ「黒猫」(奇しくも・・・)で演奏されました。
サティの希望通り、家具のごとく。

さていかがだったでしょうか。
好き勝手に語ってみましたが・・・我ながらなんて長いんだ。
そうそう、上記のカフェ「黒猫」で出会った芸術家三人が、「パラード」というバレエを作ったことがあるんです。
脚本はジャン・コクトー、舞台美術はピカソ、そして作曲がサティ。
きっと見物だったでしょうねぇ・・・
現代に再現してくれる人はいないものでしょうか。
そんなことをこっそり夢見つつ
この文章を終えたいと思います。
ここまで読んでくださった稀有な方、ありがとうございます。お疲れ様でした。

それではまた。

(この文章は私のおぼろげな知識とウィキペディア、こちらのサイトを参考にしています。)