こんばんは。連日飲み会ですきどりんです。
今日はCD紹介ですが、一部団員に向けての変な訂正という形になります。
先日学館部室にある「例のノート」に、暇に任せて【第九】のレビューを書かせていただいたのですが
案の定2枚、書き漏らしがありました。
この場で紹介させていただきます。
第九…って、もちろんベートーヴェンのですよ?笑
はい、クリックありがとうございました。
1枚目。
【K.テンシュテット×ロンドンフィル…1985年 キング・インターナショナル ステレオ(ライブ)】
まずはテンシュテットのライブ録音。1回の演奏会に懸ける情熱もエネルギーも
人一倍であったテンシュテットは、マーラーの演奏で特に有名ですね。
この第九、そんなテンシュテットのライブ録音にふさわしく、正に「白熱」という言葉が似合います。
とにかく音が迫ってくる演奏。
特に両端楽章は、かのフルトヴェングラーの振る舞いに肉薄する凄まじさです。
CDですが、1回限りのものだと思って聴いてみましょう。熱くなる事請け合いです。
それにしても、この「Gott!」のフェルマータ、熱いなぁ。
録音は1985年9月13日のもの。
テンシュテットは翌月10月に喉頭癌の宣告を受け、ロンドンフィルを辞任します。
その直前の演奏です。
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 (2005/06/22) テンシュテット(クラウス)、ヘガンデル(マリ・アンネ) 他 |
続いては、何とN響の演奏。
【L.マタチッチ×NHK響…1973年 キング ステレオ(ライブ)】
マタチッチはなんだか変な名前ですが、ユーゴスラビア出身の指揮者です。
チェコフィルとのブルックナーで名演を残していて、N響とも何度か共演しています。
実演に触れた事は無いのですが(当然)、指揮が下手だったみたいですねー。
ある箇所でどうしても上手く棒を振れないマタチッチに、楽員が
「先生はここで平泳ぎの真似をしていてください。私たちだけでやりますから」と進言。
何と本番でも平泳ぎの真似をしていたそうです。
しかし、彼の音楽はとにかく「巨大」、「巨大」。
この第九も、とんでもないスケールで響きます。いや、もはや「轟き」ます。
合唱が下手?ソリストが不調?オケのアンサンブルも乱れまくり?
でもそんなの関係ねぇ、ですよ。笑
マタチッチは細かいところに拘泥することなく、とにかく音楽を“ワシ掴み”できる稀有の巨匠でした。
この第九に、理想的な形で彼の記憶が刻まれています。
ベートーヴェン:交響曲第9番
画像でかっ。第九以外では、ブル5、そして喜歌劇“メリー・ウィドウ”全曲などが素晴らしい。
ベートーヴェンは綺麗事じゃ納まりません。その音楽は生命力に溢れ、荒れ狂い、闘いを挑み、
そして私たちに迫ってきます。そんな事を頭で考える暇もなしに、ドカンと見せ付けてくれる
2枚のCDでした。
ちなみに、部室のノートに言及したディスクは13枚くらいにのぼります。
フルトヴェングラーの異種同曲録音3枚に始まり…
朝比奈×大阪フィルやら、ノリントンやら、ラトルやら、ストコフスキーやらマズアやらバーンスタインやらを書いた気がします。いや正直よく覚えてないのです。
その中から特に薦めたいCDだけ記録して、今宵は筆を置くとしましょう。
・フルトヴェングラー×フィルハーモニア管…1954年 モノラル
俗に“ルツェルンの第九”と言われるものです。録音は、悪いです。
演奏は、至高のもの、と言い切れます。フルヴェンが死の3か月前のライブ。
ルツェルンの第9 ベートーヴェ
本当は1952年のウィーンフィル盤を書きたいのだけれど、アマゾンに無い。。
ちなみにルツェルンの第九は、中央図書館に置いてあります。W大生は是非。
・朝比奈隆×大阪フィル…1997年 キャニオン ステレオ
朝比奈さんについてはまたいずれ書きますが、この第九。
日本人の演奏だと思って二の足を踏んだら、絶対に損かと。
フルトヴェングラーが現代に甦った?いや、フルトヴェングラー以上ではないか。
そんな思いさえ抱かせる、けだし名演です。
ベートーヴェン:交響曲第9番 (2000/02/17) 大阪フィルハーモニー交響楽団 |
・L.バーンスタイン×ウィーンフィル
全集からの1枚。バーンスタインのベートーヴェンはそんなに聴かないけれど、これは別。
我々は第九を聴くたびに、“歓喜”が本当に自分自身のそれとなることを望みます。
個人的感慨ですが、今の私にはこの録音が、その願いに最も近い演奏であると言えます。
ベートーヴェン:交響曲第9番 (2006/11/08) バーンスタイン(レナード)、ジョーンズ(ギネス) 他 |
第九は今後も間違いなく、音楽史の金字塔であり続けるでしょうね。
だけどそんなことより大切なのは、名曲であるが故に、この音楽を如何に自分と突き合わせるか、でしょう。
簡潔かつ具体的には、前述したように、“歓喜”を自分の「歓喜」として感じ、謳うこと。
さてさて、いつになるのやら。
おやすみなさい。