ぷれりゅうど

きどりんです。今日は所沢ミューズにてホール練習でした。皆さんお疲れ様でした。

残すはゲネプロと、そして本番のみ。
今春シーズンも、もうすぐ終わりです。

私は今シーズン、僭越ながらベートーヴェンのトロンボーントップを担当させていただきました。
アルトのパートをテナーで吹くという、実は2度目となる挑戦(暴挙?)に出たわけでございますが。
いやはや手強いこと手強いこと。
4楽章しか無いのもあって、短距離走のアスリートの気持ちが解った気が致します。

さて、たった今書いたように、私含むトロンボーンセクションは今回、終楽章のみの出番でありました。
そのせいか、1~3楽章に関しては、ある意味でかなり客観的になっております。
だけどもちろん、ワセフィルの仲間が演奏している姿を後列で見ていると、
色々湧いてくるものもあるのです…

そんな風に、冷めたり熱くなったりしながら
今日の練習を後ろで聴いていて、ワセフィルブログにこの記事を書こうと思いました。


皆さま、芥川也寸志という作曲家をご存知でしょうか。
かの大文豪、芥川龍之介の息子であり、現代音楽の作曲家でもあります人物です。
そんな彼が書き残したエッセイ集で、「ぷれりゅうど」という本があります。
その中から、少々長くなりますが引用をさせていただきます。

 「日本ではアマチュアというと、まず素人であって、玄人とは及びもつかない
未熟な腕の持ち主たちであり、したがって程度の低い価値の劣るもの、という意味に
おおむね受け取られている。
 
 ところが、ウェブスター大辞典によると、アマチュアの第一義には「Love」である。
まさに愛してやまぬ、愛さずにはいられないというのがアマチュアの心であり、もともと
アマチュアという言葉には、素人などという意味はありはしない。…
 …要するに代償を求めず、ただひたすらに音楽を愛し、それに没入していこうと
いう気持ち、それがアマチュア音楽家の中身であり、アマチュア魂というものでもあろう。…
 
 …人間は音楽無しには生きられない。大きな悲しみに立ち向かうためには、
それに耐える歌がどうしても必要になるし、赤子を寝かしつけるのも子守唄がいる。
 あえて言えば、音楽は人間社会みんなのものであり、“みんな”ということは
とりもなおさず、アマチュアと言ってよいであろう。この意味から言えば、
正にアマチュアこそ音楽の本道では無いか。

 …アマチュア音楽家たちに望みたいのは、アマチュアとしての誇りを忘れないでほしいということだ。…
 …ただひたすらに何かを愛する事の出来る人たちが、素晴らしくないわけがない。」

まぁつまりは、誇りと愛ですね。

「ただひたすらに何かを愛する事の出来る人たちが、素晴らしくないわけがない」

真剣になるのはとても大切な事です。だけど深刻になるのは音楽にとってよくないと私は思います。
というわけで、良い演奏会になるように、がんばりましょう!